炭酸水メーカーの「冬眠」とサンクコスト。我が家の設備投資が失敗した「物理的レイテンシ」の話
常々「損切りの重要性」や「資本効率(ROE)の最大化」といった、いかにも投資家らしい講釈をたれています。 しかし、画面の中のロジックと、現実世界の生活。この二つの間には、往々にして乖離が生まれるものです。
今の私の自宅キッチンには、稼働率が限りなくゼロに低下し、完全な「冬眠モード」に入っている設備投資案件が存在します。 かつてあれほど我が家のQOLを押し上げてくれた、炭酸水メーカーです。
需要予測の甘さと、季節性という変数
導入当初、私はこのデバイスに対して極めて楽観的なROI(投資対効果)を試算していました。 「夏はハイボール、冬もリフレッシュに。通年稼働させれば、ペットボトルの購入コストをペイできる」 そう判断し、自信を持って導入したのです。
しかし、冬の到来とともに、私の計算式に致命的なバグが見つかりました。 「極寒のキッチンで、キンキンに冷えた炭酸水を欲する身体的必然性がない」という、あまりに生理的な変数を見落としていたのです。
現在の私の飲料ポートフォリオにおいて、主力銘柄となっているのは何か。 あろうことか、「電子レンジで温めただけの水(白湯)」です。 原価はほぼゼロ、身体も温まる。この圧倒的なコストパフォーマンスと実益の前に、冷たい炭酸水の需要は完全に蒸発しました。 冬の相場環境を読み違えた、典型的なミスエントリーと言えるでしょう。
物流コストという構造的欠陥
さらに、この「自家製炭酸水事業」には、運用フェーズに入って初めて判明した構造的なボトルネックがありました。 ガスシリンダーの交換における物理的なレイテンシの問題です。
ガスが枯渇するたびに、重量のあるシリンダーを家電量販店のカウンターまで持ち込む必要がある。この「物流コスト」が、寒さという環境要因と相まって、私の行動力を著しく低下させます。 ガスの残量が低下し、注入圧力が弱まる現象──エンジニア的に言えばスループットの低下──を検知しても、寒空の下へ出向くコストを天秤にかけると、どうしても身体が動きません。
「今日は白湯でいい」 この安易な解決策への逃避により、私の炭酸水事業はあえなく操業停止(シャットダウン)へと追い込まれました。
共同出資者(妻)との暗黙の合意
週末、埃をかぶったマシンを妻が拭いている背中を見かけました。 「これ……最近、動いてないね」
妻の言葉は、決して「廃棄(損切り)」を迫るものではありません。彼女は物を大切にする、非常に保守的な学資保険の運用を好むタイプです。「まだ機能不全(故障)を起こしていない資産を、除籍するのは忍びない」という彼女の美学は、痛いほど理解できます。
私は自身の貧乏性、いや、投資判断の遅れをごまかすように答えました。 「冬という季節性の問題だから。夏になれば、また流動性が戻るはずだ」
妻は「そうだね、もったいないしね」と頷き、マシンをキッチンのデッドスペースへと静かにリ配置しました。 妻の「物を慈しむ心」と、私の「損失を確定させたくないサンクコストへの執着」。 この二つが奇妙な形で握手し、現状維持という名の「塩漬け」が承認された瞬間です。
「保有」という名の思考停止
結局、炭酸水メーカーは今もキッチンの隅に鎮座しています。 「いつか稼働する(値上がりする)かもしれない」という淡い期待。 「まだ使えるのに捨てる(売る)のは損失だ」という現状維持バイアス。
これは、投資の世界で我々が最も忌み嫌うはずの「塩漬け株」の心理構造と、驚くほど一致しています。 暴落したわけでも、企業自体が破綻したわけでもない。ただ、期待収益を生まないまま、ポートフォリオの一部を占有し続けている状態。
我が家の炭酸水メーカーは、春という外部環境の変化(カタリスト)を待ちながら、静かに含み損を抱えて時を過ごすことになるでしょう。
皆様のポートフォリオ、あるいはクローゼットの中にも、「売る(捨てる)決定打はないが、期待値も剥落している銘柄」が眠ってはいないでしょうか。 それらを目にした時、「人間である以上、常に合理的であることは難しい」と、自分自身のバグを許容してあげるのも、長く相場(人生)を生き抜くコツなのかもしれません。
この「冬眠戦略」。 次の決算発表──つまり、暖かくなる春の到来を、今は静かに待ちたいと思います。