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カテゴリー: 投資方針

「思考停止でオルカン」という正解に感じる、耐えがたい虚無感について。私がまた「個別株」の沼に戻る理由

「思考停止でオルカン」という正解に感じる、耐えがたい虚無感について。私がまた「個別株」の沼に戻る理由

新NISAの狂騒からしばらく経ち、世の中の「正解」は完全に固定されたように見えます。 猫も杓子も「S&P500」か「オルカン(全世界株式)」。

書店に行けば「ほったらかしで億り人」という類の本がタワーのように積まれ、YouTubeを開けば「思考停止でこれを積み立てればOK」という動画が、判で押したように再生されています。

誤解のないように言っておきますが、数学的に見れば彼らは正しい。 私もポートフォリオは大半インデックスファンドですし、現代ポートフォリオ理論が導き出した「最適解」がそこにあることは、数字が証明しています。

しかし、私は最近、このあまりにも完璧な「正解」に対して、「虚無感」を抱くようになりました。

毎月、給料が入ると機械的に引き落としがされ、世界のどこかの企業の株がパッケージとして購入される。 そこには私の「意志」も、企業の「顔」も、経済の「手触り」もありません。ただ、管理画面上のデジタルな数字が増えていくだけの、無機質な作業。

「私は本当に、投資家と呼べるのだろうか?」

今日は、そんな贅沢な悩み──効率化の果てにある退屈──と、そこから逃れるために私が再び足を踏み入れた「主体的な泥臭さ」について書き残しておきます。


「思考停止」という名の心地よい麻薬

インデックス投資の最大の功績にして最大の罪は、「考えなくていい」という状況を作り出したことです。 企業の業績も、為替の変動も、FRBの金利政策も、すべてノイズとして無視し、ただ「市場全体」を丸ごと買う。それは忙しい現代人にとっての救済であり、同時に、知性を眠らせる麻薬でもあります。

ITエンジニアとして日々「仕組み(ロジック)」と向き合っている身からすると、この「思考を放棄する感覚」が、どうしても肌に合いません。ブラックボックス化されたシステムに依存するのは、エンジニアとしての本能が拒否するのです。

  • なぜ今、NVIDIAの株価がこのPERで許容されているのか?
  • 円安が進む裏で、日本のどの製造業が構造的に儲かっているのか?
  • このiPhoneが売れるたびに、チャリンと音を立てるのは誰の懐か?

インデックス投資は、こうした問いを全て「平均」の中に埋没させます。 資産は増えるでしょう。しかし、「自分の頭で仮説を立て、検証し、バグを潰す」という、あの知的な喜びはそこにはありません。

「能力の輪」で戦う手触り感

結局、私は耐えきれずにサテライト枠(資産の一部)を使って、個別株の分析を再開しました。 ただし、やみくもに買うのではなく、バフェットの言う「能力の輪」——自分の本業や生活実感に基づいた「分かるビジネス」——の範囲内だけで戦う、という規律を課しています。

例えば、最近リサーチしていた村田製作所や信越化学。 世間が「AIすごい!とりあえずNVIDIAだ!」と騒ぐ中で、私は一歩引いて考えます。「そのGPUを作るためのコンデンサやシリコンウエハは、誰が握っているのか?」と。

ITの知識を使ってサーバーの物理的な構成を想像し、DCF法(割引現在価値)で電卓を叩いて、現在の株価が「正当化できる範囲」なのかを計算する。 この泥臭いプロセスを経た時、株券は単なる「金融商品」から、私の「納得の結晶」へと変わります。

  • 「世界シェア40%の技術力が、このPERで放置されているのはバグだ」
  • 「この企業がなければ、AI社会というシステム自体が稼働しない」

そうやって自分で価値を見出し、リスクを取って資金を投じる。 自分の読みが外れて株価が下がれば、胃が痛くなります。インデックスなら「市場が悪い」と転嫁できますが、個別株では全ての責任は自分にあるからです。 しかし、読み通りに上がった時の喜びは、インデックスの比ではありません。それは単なる金銭的なリターンではなく、「自分の仮説が社会に認められた」という強烈な知的興奮があるからです。

「投資」とは、未来への投票権を行使すること

思考停止のインデックス投資は、悪く言えば「選挙に行かずに、勝った政党に文句を言わない」ようなものです。市場が決めた価格を、ただ受け入れるだけの受動的な姿勢。

一方で、個別株投資は「能動的な投票」です。 「私は、この企業の技術に未来を賭ける」 「私は、この経営者のビジョンを支持する」

信越化学の「鉄壁の財務と利益率」に美学を感じたり、村田製作所の「素材からの内製化」という執念にエンジニアとして共感したり。 そうやって主体的に企業を選び、資金を託すことこそが、本来の「株式投資」の醍醐味だったはずです。

世の中が「タイパ(タイムパフォーマンス)」を求めてインデックス一色に染まる中で、あえて休日を使って決算書(有価証券報告書)を読み込み、工場の煙突の向こう側を想像する。 そんな「非効率」なことをしている時間が、今の私にはとても人間らしく、充実した時間に感じられるのです。


結論:ハイブリッドな投資家として生きる

もちろん、私も全財産を個別株に突っ込むような無謀なギャンブルはしません。 老後のための「生存資金」はインデックス(思考停止枠)に任せつつ、自分の魂を燃やすための「勝負資金」は個別株(思考枠)に振り向ける。

「資産はインデックスで守り、知的好奇心は個別株で満たす」

これが、あまりにも正解すぎる現代の投資環境で、私が虚無感を乗り越えるために見つけた処方箋です。

「正解」をなぞるだけの人生は退屈です。 時には計算されたリスクを取り、自分の頭で考え、市場という荒波にオールを漕ぎ出す。そのプロセス自体を楽しむことが、私にとっての「投資」なのです。

【告白】ロマンを語る私の、冷たい裏の顔。「投資家」と「ファンドマネージャー」の二重生活について。

【告白】ロマンを語る私の、冷たい裏の顔。「投資家」と「ファンドマネージャー」の二重生活について。

優待シーズンの足音が近づくと、SNSのタイムラインが少し騒がしくなります。「クロス取引」や「タダ取り」の在庫確保報告。

普段、「企業のぬくもり」だの「応援」だのとポエムのようなことを書いている私ですから、読者の皆様はこう思っているでしょう。 「きりしまは、そんなリスクを取らないセコい取引なんて見向きもしないはずだ。『クリープのないコーヒーのようなものだ(古い?)』と笑い飛ばすに違いない」と。

……えっと、正直に告白します。 やります。結構、冷徹にやります。

今日は、私が抱える「ロマン」と「そろばん」。この一見矛盾する二つの顔と、自分の中でどう折り合いをつけているかについて、正直に書いてみようと思います。


1. 脳内に住む「二人のきりしま」

私の中には、性格の絶望的に合わない二人の人間が同居しています。

一人目は、このブログの著者である「投資家きりしま」。 彼はロマンチストです。「リスクを背負ってこそ、果実は甘くなる」「企業ストーリーへの共感こそが投資の本質だ」と熱く語ります。彼にとって、リスクゼロで利益をかすめ取るクロス取引は、魂の抜けた行為であり、美学に反します。

しかし、もう一人。私の資産全体を管理する、冷血な「ファンドマネージャーきりしま」がいます。 彼が見ているのは、物語ではなく「ポートフォリオ全体の効率性(シャープレシオ)」だけです。

彼が、待機資金(キャッシュ)を見てこう囁くのです。 「おい、次の暴落を待っているその現金、ただ眠らせておくつもりか?」 「そこに『年利換算数%のリターン』が確定している取引が落ちているぞ。なぜ拾わない?」 「それを『美学』とか言ってスルーするのは、マネージャーとしてのただの『職務放棄』ではないか?」

……ぐうの音も出ません。 数字(ロジック)の世界において、落ちているお金を拾わない正当な理由は存在しないからです。


2. 優待クロスは「投資」ではなく「事務処理」

そこで私は、精神衛生を保つために、自分の中で明確な線引きを行いました。

  • 個別株の現物買い = 心を揺さぶる「投資」。
  • 優待クロス取引 = 銀行の金利計算に近い「事務処理」。

私はクロス取引をする際、その企業の統合報告書を読み込んだりしません。 ただ淡々とカレンダーを確認し、Excelで在庫を管理し、機械的に注文を入れる。

これは私にとって、スーパーでポイントカードを提示する行為や、定期預金の満期手続きをするのと同じカテゴリ。いわば「高配当なポイ活」なのです。

そこに「主体的な応援」という熱はありません。あるのは「資金効率を最大化する」という、ファンドマネージャーとしての冷たい実務能力だけ。 そう割り切ることで、私はロマンとそろばんを共存させています。


3. 「我が家の株」にするための、愛ある合理性

一方で、私が本気で応援してリスクを取る「現物保有」の場合。 ここでも、私の内なる「ファンドマネージャー」は合理性を発揮します。

それは、「家族名義への分散」です。

例えば、ある企業の株を200株買いたいと思った時。私一人で200株持つか、妻と100株ずつ持つか。 私は迷わず後者(家族分散)を選びます。

なぜなら、「同じリスク量(200株分の変動リスク)」を負っているのに、リターン(優待品)を取りこぼすのは、プロとして非合理的だからです。 100株優待が一番効率が良いなら、手間を惜しまず家族で分ける。これはセコいのではなく、リスクマネーを投じる者の「義務」です。

そして何より、これには数字以上の効用があります。 妻や子供の口座にその株が入ることで、その企業は「お父さんが勝手にやっている株」から、「私たち家族の株(アセット)」へと進化するのです。

「ねえ、私の口座にあるあの会社、新しいお店出したんだって?」 「今年のカタログギフト、二人分合わせて、ちょっと良いお肉頼んじゃおうか」

そんな会話が食卓で生まれること。 投資という孤独な営みが、家族の共通体験になり、生活の中に溶け込んでいくこと。

これこそが、私が求めている「生活に根ざした投資」の完成形であり、「我が家の株」と呼べる最強の状態だと思うのです。


4. 結論:冷たいマネージャーが、熱い投資家を守る

「口座管理なんて面倒くさいことを」と思われるかもしれません。 ですが、この「事務処理(ポイ活)」や「家族口座の管理」といった冷徹なバックオフィス業務をサボらないことこそが、実は私の投資家としての寿命を延ばしています。

ファンドマネージャーとして冷ややかに積み上げた「小銭」や「生活必需品(優待)」が、家計の防波堤になる。 その安心感があるからこそ、本命の銘柄が暴落した時に、「まあ、生活は何とかなる」と腹を括って、ロマンある企業を買い向かうことができるのです。

右手に「冷たいエクセル(ファンドマネージャー)」を。 左手に「温かいストーリー(投資家)」を。

この二つの顔を使いこなしてこそ、40代の個人投資家は市場という荒波を生き残っていける。

……まあ、そうやって「事務的に」手に入れたハンバーグも、家族みんなで食べれば「やっぱり美味しいね!」って感動しちゃうんですけどね。 そこはやっぱり、所詮人間ですから。

なぜ「インデックス」という正解を捨てて、面倒な個別株をやるのか? 私の投資を支える「電卓」と「体温」の話。

なぜ「インデックス」という正解を捨てて、面倒な個別株をやるのか? 私の投資を支える「電卓」と「体温」の話。

週末、コーヒーを飲みながら自分のポートフォリオを眺めていて、ふと我に返ることがあります。 「なぜ、私はこんな面倒なことをしているんだろう?」と。

現代の投資理論において、正解は出ています。インデックス投資です。 市場全体を丸ごと買い、感情を排して寝て待つ。これが最も合理的で、最もタイパの良い「最適解」であることは、数字が証明しています。

それでも私は、あえて手間のかかる個別株のリサーチに時間を費やし、決算書を読み込み、Excelを叩いています。 今回は、なぜ私がその「非効率」を選ぶのか。個別株投資に向き合う際の私のスタンス(流儀)について、少し言語化しておこうと思います。


1. 「効率」のその先にある欠乏感

以前も書きましたが、私の投資の原点はインデックス投資です。 S&P500やオルカンを買うこと。それは素晴らしい戦略です。

しかし、40代を迎えた頃、その「正解」の中に安住することに、奇妙な欠乏感を覚えるようになりました。 資産は増える。でも、「自分は世の中の経済活動を、本当に理解しているのか?」という問いには答えられないままです。

インデックスは「平均」を買う行為です。そこには個別の企業の顔も、経営者の苦悩も、現場の熱量もありません。すべてが希釈された「数字」として処理されます。 私が個別株の世界に足を踏み入れたのは、単にリターンを求めたからではなく、自分の手で企業の価値を測り、納得してリスクを取るという「主体性の手触り」が欲しかったからなのだと思います。

2. 左手に「冷たい電卓」を

では、どうやって銘柄を選ぶか。 まず必要なのは、徹底的に「冷徹であること」です。

株式市場というのは、頻繁に躁鬱(そううつ)を繰り返す情緒不安定な場所です。 コンセンサス未達で暴落したり、一過性のニュースでセクターごと全否定されたり。

そんな「市場のノイズ」が大きくなった時こそ、私は静かにExcelを起動します。 「みんなが怖いと言っているから売る」ではなく、 「株価は下がったが、キャッシュフローは傷んでいない。計算上、安全域(マージン)が30%取れる。だから買う」

インデックス投資時代に培った「数字への信頼」をベースに、感情を排して事実(ファクト)を確認する。 この「冷たい頭(Cool Head)」によるスクリーニングが、私の投資の入り口です。数字が合わないものには、どんなに夢があっても手は出しません。

3. 右手に「温かい物語」を

しかし、ここからが重要です。 「数字が安いから」という理由だけで買った株は、長続きしません。暴落局面で握り続ける握力が生まれないからです。

ここで必要になるのが、数字には表れない「物語(ナラティブ)」です。

  • 経営者は、自分の言葉で未来を語っているか?(借てきた猫のような定型文ではないか?)
  • そのビジネスモデルに、社会的な必然性はあるか?
  • 現場のエンジニアや社員に、製品への「愛」はあるか?

数字でスクリーニングした後に、時間をかけてこれらの「定性情報」を読み込みます。 そこで、企業の「体温」のようなものを感じ取れた時、はじめて「この会社となら心中してもいい(あるいは、長く付き合いたい)」という覚悟が決まります。

これを私は「温かい心(Warm Heart)」での判断と呼んでいます。 どんなにPERが低くても、ただ数字を作るためだけに走っている「冷たい企業」に、私の大切なお金を託すことはできません。


結論:論理とロマンの不均衡なバランス

今の私の投資スタイルを整理すると、こうなります。

  1. 【入り口】: 市場の歪みを、「冷たい論理(電卓)」で見つける。
  2. 【決定】: その企業の持つ熱量を、「温かい共感(物語)」で確認する。
  3. 【継続】: 保有中は物語を楽しみつつ、何かあれば再び電卓を叩く。

左手でリスクを計算し、右手で未来を信じる。 非常に面倒くさいスタイルですが、この両輪が揃って初めて、私は夜ぐっすり眠ることができます。

「儲かるかどうか」はもちろん重要です。 でもそれ以上に、「自分がその企業を応援することに、腹落ちしているか」。 そんな「意思あるお金」を市場に置くことこそが、私にとっての投資の醍醐味なのかもしれません。

結局、「自分の能力の輪」を守ったら、資産の6割が不動産(REIT)になっていた。

結局、「自分の能力の輪」を守ったら、資産の6割が不動産(REIT)になっていた。

私の投資のコアが、S&P500やNASDAQといったインデックスファンドであることは変わりません。これらを通じて、市場を席巻するAIや半導体トレンドの恩恵は十分に享受できています。

ただ、このブログの主題である「個別株・アクティブ運用枠」に関しては、少し様子が異なります。

私のポリシーは、バフェットの言う「能力の輪(Circle of Competence)」の中で戦うこと。つまり、自分がビジネスモデルを腹落ちするまで理解できている企業にしか投資しない、というルールです。

この規律を忠実に守った結果、現在のポートフォリオは資産の6割が不動産(REIT)という、いささか歪(いびつ)な構成になりました。

なぜ今、あえてテック個別株に行かず、不動産に偏っているのか。その「意図的な偏り」について整理しておきます。


1. ポートフォリオの現状:極端な「守り」の陣形

現在の個別株枠の構成比率は以下の通りです。

  • 不動産(J-REIT):約 63%
  • 個別株(小売・IT・サービス):約 37%

ご覧の通り、過半数が不動産です。 「AI革命の時代に、なぜそんな枯れたセクターを?」と思われるかもしれません。しかし、これには消去法的な理由があります。

2. なぜ今、半導体・電子部品に手を出さないのか

世間では半導体や、それを支える日本の電子部品メーカー(TDK、村田製作所など)が「AI時代の覇者」としてもてはやされています。

もちろん、私もその有望性を疑っているわけではありません。しかし、私はあえてこの分野の「個別株」には手を出していません。理由はシンプルで、私自身の「解像度が足りないから」です。

「AIサーバーには日本の積層セラミックコンデンサが不可欠だ」 なるほど、ロジックは分かります。

しかし、「では、その部品が競合他社と比較して技術的にどう優位で、AIサプライチェーンの中でどの程度の価格決定権を持てるのか?」と問われた時、私は自信を持って即答できません。

「なんとなく凄そう」という空気感だけで大切なお金を投じるのは、投資ではなく投機です。 分からないものには手を出さない。機会損失を恐れて自分の規律(能力の輪)を破るくらいなら、指をくわえて見ている方を選びます。

3. 消去法としての「不動産(REIT)」

テック株への投資を「保留(ペンディング)」にした結果、行き場を失った資金が向かった先。それが「割安」かつ「構造が理解できる」不動産セクターでした。

① 市場の歪みを拾う「NF J-REIT」

日経平均が高値を追う中、J-REIT市場は不当なほど放置されています。NAV倍率(純資産倍率)で見ても明らかに割安。「株式市場に見捨てられている間に、現物を安く買い集める」という発想で、インデックス(ETF)を大きく組み入れています。

② ビジネスが見える「ジャパン・ホテル・リート」

こちらは個別選定です。ホテルというビジネスはシンプルです。客室単価と稼働率、そしてインバウンド需要。これらは私の生活実感の範囲内で理解でき、数字も追えます。「中身が見える箱」が割安なら、買う合理性があります。

4. 次のフェーズへの「助走」期間

誤解していただきたくないのは、私が「不動産こそが最強だ」と考えているわけではない、という点です。

現状はあくまで、「分からないテックを高値掴みするリスク」を回避し、「理解できる不動産」に資金を退避させているフェーズに過ぎません。

私の次なる課題は明確です。 今保有しているREITが適正価格に戻り、利益確定をする時までに、テック・素材産業への「解像度」を高めておくことです。

単に株価チャートを眺めるのではなく、例えばレーザーテックのような企業が、半導体製造工程の「どこ」を握り、なぜ「代替不可能」なのか。それをエンジニア視点で徹底的にリサーチし、自分の「能力の輪」をそこまで広げること。

今はインデックスでAI相場に追従しつつ、個別枠では不動産からの配当(家賃)を受け取り、静かに牙を研ぐ期間だと割り切っています。

これが、今の私の戦略です。退屈に見えるかもしれませんが、投資において「退屈さ」は、しばしば「規律」の別の呼び名でもあります。

「効率」の奴隷はもう辞めた。インデックス投資家が、あえて「面倒な日本株」を始める理由。

「効率」の奴隷はもう辞めた。インデックス投資家が、あえて「面倒な日本株」を始める理由。

はじめまして。きりしまと申します。 日本の株式投資と、その裏にある思考プロセスを記録するために、このブログ『思考ノート』を立ち上げました。

現在、私は40代半ば。エンジニアとして働きながら資産形成をしています。 これまでの私の投資スタイルは、極めて退屈で、そして極めて正解に近いものでした。「インデックス(S&P500やオルカン)の積立投資」です。

感情を排し、市場平均を丸ごと買い、あとは寝て待つ。 合理的です。効率的です。そして、資産形成の土台としてはこれ以上の正解はないでしょう。

しかし、40代も半ばを迎えた頃、ふと気づいてしまったのです。 「このまま『市場にお任せ』で思考停止したまま、投資人生を終えていいのか?」と。


「効率」のその先にある欠乏感

インデックス投資は素晴らしいですが、そこには「主体性」がありません。 自分が保有している企業が何をしているのか、経営者がどんな顔をしているのかを知らなくても、資産は勝手に増えていきます。

それは楽ですが、どこか虚しい。 自分が世の中の経済活動に参加しているという「手触り」が欠けているからです。

だから私は、あえて手間のかかる「個別株」という泥沼に足を踏み入れることにしました。

  • なぜその企業なのか?
  • 数字(株価)の裏側にある経営者の哲学は本物か?
  • 現場で働く人たちに「ぬくもり(熱量)」はあるか?

そういった、インデックス投資ではノイズとして切り捨てられる「物語」まで含めて、自分なりに悩み、計算し、ベットする。 そのプロセスを通じて、社会を見る「解像度」を上げること。それが、私がこの非効率な道を選んだ理由です。


このブログは「実験室」である

このブログは、誰かのために書くというよりは、私自身の「実験ログ(日誌)」です。

投資は意思決定の連続です。 「なんとなく良さそうだから買った」「怖くなったから売った」 そんな曖昧な感情で売買していては、いつまで経っても運任せのギャンブラーです。

  • なぜ買ったのか(仮説)
  • なぜ売ったのか(検証)

これを言語化して晒すことで、自分自身への言い訳を封じ、投資判断の精度を研ぎ澄ませていきたいと考えています。

メインテーマ:論理とロマンの交差点

このブログで扱うのは、基本的に「割安(バリュー)でありながら、将来の成長(グロース)も期待できる日本株」です。

5年、10年と長く保有することを前提とした「長期投資」が基本戦略。 冷徹な「数字(電卓)」でスクリーニングし、最後に「想い(ロマン)」で保有を決める。そんなスタイルを目指します。

もちろん、専門家ではありません。見当違いな分析もするでしょうし、派手に負けることもあるでしょう。 そんな試行錯誤のプロセスも含めて、40代の投資家が七転八倒する様子を、リアルタイムのドキュメンタリーとして楽しんでいただければ幸いです。

「主体性」という、今の時代に最もコストパフォーマンスの悪いものをあえて追求していく旅。 今日から始めます。どうぞ、よろしくお願いいたします。


免責事項 本ブログは個人の投資記録であり、特定の銘柄の売買を推奨するものではありません。投資の最終判断はご自身の責任で行ってください。