株価という「ブラックボックス」を解析する。簡易DCF思考
「なぜ信越化学はPER18倍で、レーザーテックは40倍なのか?」 「今のこの株価は、一体どれだけの未来を『先食い』しているのか?」
夜、静まり返った部屋でモニターに並ぶ数字の羅列を眺めていると、ふと、自分が霧の中にいるような心許なさを覚えることがあります。
PERやPBRといった指標は確かに便利です。しかし、これらはあくまで、ある瞬間のスナップショットに過ぎません。企業の成長という、時間の経過と共に変化する「動的なエネルギー」を捉えるには、どうしても解像度が粗いのです。
そんな時、私が自分の正気を保つために立ち返るのが、「簡易DCF法(ディスカウント・キャッシュフロー法)」です。
名前こそ仰々しいですが、やることはシンプル。企業の「未来の稼ぎ」を現在の価値に引き直すシミュレーションです。このロジックを回すと、株価というブラックボックスの中身が、驚くほどクリアに――時に残酷なほど鮮明に――見えてきます。
今日は、私が普段行っているこの思考プロセスを共有します。これは正解を導くための講義ではなく、私の頭の中の整理整頓、いわばデフラグ作業のログだと思ってください。
「金のなる木」の仕様を定義する
難しい数式を持ち出すのは私の趣味ではありませんし、変数が多すぎる複雑な計算は、かえって投資判断における「バグ」の温床になります。 私がやりたいのは、要するに「金のなる木」の適正価格を自分の腹に落とす作業です。
ここに2種類の木(システム)があると仮定しましょう。
- 木A(信越化学タイプ): 毎年確実に100万円の実がなる。スケーラビリティ(拡張性)は緩やかだが、システム基盤が堅牢で、ダウンする気配がない。
- 木B(レーザーテックタイプ): 今は10万円しか実がならない。だが、来年は20万、再来年は40万……と、指数関数的に処理能力が増える(かもしれない)。
直感だけで値付けをすると、「Aは1,000万円か?」「Bは夢があるから5,000万円でも安いか?」と、どうしてもその時の気分や市場の空気に流されます。 これを感情ではなく、規律あるロジックで計算機に弾かせるのがDCF法です。
構造は極めてシンプル。 企業価値 = (向こう5〜10年で稼ぐ現金の合計) + (今持っている現金) ※ただし、遠い未来のお金ほど不確実なので、「割引率(リスク)」という係数で割り引いて計算する。
エンジニアの性分として、「単純であるほど堅牢である」と考えています。これくらい簡素化したモデルで十分、というのが私の持論です。
2つの銘柄で見える「景色の違い」
では、実際にこのツールを回した時、私にはどう見えているのか。 重要なのは数字そのものではなく、「計算結果と実際の株価のズレ(Error)」です。ここにこそ、市場の心理が透けて見えます。
まずは、信越化学工業 (4063)。 世界シェアNo.1の素材メーカーであり、財務は鉄壁。私にとっての「木A」です。 成長率を年率+4%(安定稼働)、割引率は7%(バグ発生率低め)というシナリオで計算機を叩きます。
弾き出した理論株価は、約4,400円。 対して実際の株価は、4,500円前後(※執筆時点)。
ほぼ一致していますね。 ここから読み取れるのは、市場の「冷静さ」です。「魔法のような急成長は期待していないが、今の不況を織り込んだ上で、スペック通りの評価をしている」というメッセージが聞こえてきます。 割安というわけではありません。しかし、ここにはバブルがない。私が長期保有の基盤としてポートフォリオに組み込む際、この「納得感」は非常に重要です。夜、システムアラートに怯えず眠れる銘柄とはこういうものでしょう。
一方、レーザーテック (6920) はどう映るか。 こちらは世界シェア100%の検査装置を持つ、AI相場のど真ん中。「木B」の代表格です。 成長率は年率+20%(驚異的な高成長)、割引率は9%(ボラティリティを加味してリスク重め)と、かなり強気なパラメーターを設定してみます。
弾き出した理論株価は、約15,000円。 しかし実際の株価は、22,000円前後。
私の計算機が弾き出した数字より、30%以上も高い値がついています。
誤解しないでいただきたいのは、「だからレーザーテックは暴落する」と言いたいわけではない、ということです。 ただ、市場はこの銘柄に対し、年率20%程度の成長では満足していないという事実が浮かび上がります。「年率30%〜40%の成長が、向こう5年以上続く」という、とてつもないストーリーを現在の株価に織り込んでいるのです。
私にとって、これは投資というより、その超・高成長シナリオに対する「ベット(賭け)」に近い。 もし成長率が20%に”鈍化”しただけで、株価は期待剥落により調整を余儀なくされるでしょう。その再現性の低いリスクを負ってまで参加するか? 私の「能力の輪」と相談した結果、答えはNoです。
「逆算」こそが真骨頂
このように、私がDCF法を使うのは、正確な株価を予言するためではありません。 「今の株価をつけている市場参加者が、何を考えているか」を逆算(リバースエンジニアリング)するために使っています。
信越化学の株価は、投資家の「納得」で構成されている。 レーザーテックの株価は、投資家の「熱狂」で構成されている。
この構造が見えれば、あとは自分のスタンスを決めるだけです。 自分の計算結果より株価が安ければ、「市場がバグっている(チャンス)」かもしれない。逆に高ければ、「市場が仕様外の期待をしている(リスク)」かもしれない。
数字は嘘をつきませんが、数字を扱う人間は感情で動きます。
「この会社、今後5年でどれくらい稼ぐだろうか?」 そう想像しながら電卓を叩く時間は、市場の喧騒から離れ、自分自身の規律を取り戻すための儀式のようなものなのかもしれません。