【投資のパラドックス】金・BTCを持たないことは「機会損失」だった。バフェットの理論と、計算できない「熱狂」と新たな規律。

【投資のパラドックス】金・BTCを持たないことは「機会損失」だった。バフェットの理論と、計算できない「熱狂」と新たな規律。

私たちバリュー投資家は、PERやキャッシュフローという「定規」を持っています。 その定規で測れないもの、つまり「金(ゴールド)」や「ビットコイン」のような非生産資産は、投資対象から外すのがセオリーでした。

しかし、直近の値動きと長期のチャートを前にして、認めざるを得ない事実があります。 それは、「そこにお金を置いておかなかったことは、明らかな『機会損失(Opportunity Cost)』だった」ということです。

「価値が計算できないから買わない」という私の判断は、論理的には正しかったはずです。 しかし、歴史と市場の結果は、私のポートフォリオをあざ笑うかのように上昇を続けています。

今回は、この「正しいはずの理論」と「目の前の現実」のギャップについて、思考の整理を書いていきます。

バフェットの「ポジショントーク」と時代の変化

ウォーレン・バフェットは「金は何も生まない」と切り捨てました。 確かに、彼が活躍した20世紀後半のアメリカは、企業が爆発的に成長し、ドルが世界の基軸通貨として盤石だった時代です。その環境下では、金を持つよりコカ・コーラを持つ方が合理的でした。

しかし、今はどうでしょうか。 各国中央銀行が通貨を刷りまくり、貨幣価値が希釈され続けている現代において、「何も生まないが、減りもしない(発行量が増えない)」という金の特性が、相対的に輝きを増しています。

「ファンダメンタルズ(生産性)がないからダメだ」というのは、あくまで「通貨が健全であること」を前提とした平時の論理だったのかもしれません。 人類の歴史を見れば、通貨が壊れた時、最後に頼れるのは常に「計算できない石塊(金)」でした。バフェットの言葉を金科玉条にしすぎると、この歴史的な文脈を見落としてしまいます。

「チューリップ」とは決定的に違うコード

数字を計算することにこだわらないバリュー投資家はよく、金やBTCを「現代のチューリップ・バブルだ」と冷笑します。 「本来の価値がないものに、人々が熱狂しているだけだ」と。

しかし、 17世紀の球根と、現代のゴールド・BTCには、決定的な違いがあります。 それは、「法定通貨不安」という、不可逆な取得理由(ドライバー)存在するかどうかです。

  • チューリップ: 「もっと高く売りたい」という欲望だけで買われた。花は枯れれば終わり。
  • 金・BTC: 「自国通貨を持っていたくない」という恐怖と不信で買われている。

「分母(法定通貨)」が壊れているから、「分子(金・BTC)」が上がって見える

今起きているのは、金やBTCの価値が爆発しているというより、「分母である法定通貨(円やドル)の価値が、希釈により限りなくゼロに近づいている」現象です。

通貨の発行量が増え続ける限り、相対的に発行量が限定された資産の価格が上がるのは、バブルではなく「数学的な必然」です。

利益(PER)という重力がないことは恐怖ですが、同時に「通貨安という燃料が投下され続ける限り、上値余地(天井)もまた存在しない」ということでもあります。 この「構造的な上昇」を単なるバブルと片付けて思考停止できるのでしょうか。

この「熱狂」はいかんともしがたいです。

合理的に買う方法は「ない」という絶望

では、この「熱狂」に参加するために、何か合理的なエントリーポイントはあるのでしょうか?

PERもDCFも使えません。 残された手段は、チャートの形を見る「テクニカル分析」や、買われすぎを測る「RSI」、あるいは資金の流入を見る「オンチェーンデータ(BTCの場合)」といった指標くらいです。

しかし、これらは「価値」を測っているのではなく、「他人の心理(需給)」を測っているに過ぎません。 「RSIが30だから買い」というのは、投資ではなく「美男美人投票の裏読み」です。

結局のところ、バリュー投資家が納得できるような「本質的価値に基づいた買い時」など存在しないのです。

パラドックスを受け入れるしかない

「計算はできない。でも、買わないと置いていかれる」 このジレンマに対する、現時点での私の結論はこうです。

「合理的な判断は諦めて、機械的に付き合うしかない」

値動きや熱狂を分析して「今だ!」と飛び乗ろうとすれば、必ず火傷します。私たちにはそのスキル(相場観)がないからです。 だとすれば、悔しいですが「判断を放棄する」しかありません。

  • ポートフォリオの数%だけ、毎月定額を積み立てる。
  • 「なぜその価格なのか」を理解しようとしない。
  • これは「投資」ではなく、現代社会の歪みに対する「必要経費」だと割り切る。

「機会損失」という結果が証明してしまった以上、指をくわえて見ているわけにもいきません。「計算できないものにお金を投じる」という、エンジニアとしても投資家としても最も気持ちの悪い行為を、あえて受け入れる。 それが、今の相場が私たちに強いている「新しい規律」なのかもしれません。

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