「完璧なモデル」の不在証明。私たちが市場に差し出している「代償」について
DCF法でキャッシュフローを割り引き、競合優位性を因数分解し、理論株価を算出する。
エンジニアとしての私は、こうした「解のある問い」を解くプロセスを愛しています。数字は嘘をつかないし、ロジックは裏切らない——そう信じたいからです。
しかし、投資家としての私は、その作業の途中でふと手を止め、冷めたコーヒーを啜りながら、ある種の虚無感と向き合うことになります。
「このモデルは完璧ではないし、これからも完璧にはなり得ない」
当たり前の話ですが、もし市場に「リスクゼロで、確実に、市場平均を上回る数式」が存在するなら、世界中のアルゴリズムが瞬時にそれに飛びつき、その歪み(超過リターン)はナノ秒で消滅しているはずです。
私たちが市場に参加できているのは、プロを含めた全員が「未来など誰にも分からない」という前提で、暗闇の中を手探りしているからです。
私たちが投資判断を下すとき、そこで行われているのは「正解探し」ではありません。
「こちらを立てればあちらが立たぬ」というトレードオフの中で、「何を諦め、その代償として何を得ようとしているか」という、等価交換の選択なのです。
私たちのポートフォリオは「何を捨てた」結果なのか
私が普段、無意識に行っている「投資スタイルの選択」を、改めて「コスト(支払う代償)」の観点から整理してみました。
得られるリターンばかりに目が向きがちですが、重要なのは「そのリターンを得るために、自分は何を犠牲にしているか」を自覚することです。
| 投資スタイル | 私たちが賭けているもの(メリット) | 市場に差し出している代償(コスト) |
| インデックス投資 | 市場平均という「解」、手間いらずの効率性、再現性 | 「知的な主体性」の放棄。 退屈さと、思考停止する自分への虚無感。 |
| バリュー株投資 (私の主戦場) | 安全域(マージン)、論理的な割安感、資本の安定 | 「時間」の不確実性。 いつ評価されるか分からない焦燥感と、資金拘束(機会損失)。 |
| グロース株投資 (例:レーザーテック等) | 爆発的な資産拡大、時代のテーマに乗る高揚感 | 「安全」の放棄。 高い期待値に織り込まれた、綱渡りのようなボラティリティ。 |
| 複合企業・素材 (例:信越化学等) | 不況への耐性、強固な財務基盤 | 「純度」の希釈。 多角化ゆえに、特定の事業が爆発しても株価への寄与が薄まるもどかしさ。 |
こうして見ると、どのスタイルも「何かを強烈に我慢する」ことで成り立っているのが分かります。
不確実性という「バグ」との付き合い方
頭では分かっていても、この「代償」を支払い続けるのは精神的コストがかかります。私自身、どのようにこのトレードオフと折り合いをつけているか、現在のスタンスを言語化しておきます。
1. インデックスの「冷徹な正解」に対する処方箋
S&P500やオルカンを買えば、数学的にはそれが最適解に近いことは分かっています。しかし、エンジニアの性分として、ブラックボックスにお金を投げ込むだけの行為には「魂」が震えません。「ただの作業」になった瞬間、投資への関心すら失いかねない。
だから私は、**「コア(インデックス)で合格点を取り、サテライト(個別株)で知的好奇心を満たす」**という二重構造を採用しています。
資産の大半をインデックスという「退屈な正解」に委ねることで経済的合理性を担保しつつ、残りの資金で自分の仮説を検証する。これは、私の精神衛生を保つための必要経費だと割り切っています。
2. バリュー株の「永遠に評価されないかもしれない恐怖」
私が好む中小型の割安株は、プロすら見向きもしないことがあります。「いつ株価が上がるか」という時間軸の変数は、私のコントロール外です。ここを予測しようとすると、外れた時のストレスで眠れなくなります。
そのため、私は「いつか」を諦め、「今」に集中することにしました。
株価(他人の評価)は無視し、その企業が毎年生み出すキャッシュフローや、積み上がる純資産、そして配当金(実利)だけを見る。
「市場が私の持ち株の価値に気づくのに5年かかるなら、その間の5年分の配当とBPS成長を貰っておこう」。そう考えることで、「待つ時間」を「利益確定の時間」へと脳内で変換しています。
結局、私たちは「どの苦痛」を選ぶか
投資に「聖杯」はありません。
あるのは、「この欠点なら、私の性格的に許容できる」という相性の問題だけです。
- 全てを効率性に委ねて、「退屈」を引き受けるか(インデックス)。
- 自分の論理を信じて、「孤独」と「時間の不確実性」を引き受けるか(個別株)。
どちらが優れているかという議論は無意味です。重要なのは、自分が選んだ道に落ちている「石ころ(デメリット)」を、最初から「あって当然のもの」として認識できているかどうか。
私は、市場の非効率性を信じ、自分で企業価値を測る泥臭い作業を選びました。「いつ報われるか分からない」というコストを払ってでも、自分の頭で考えた仮説が事実に変わる瞬間のカタルシスに賭けたいからです。
私たちはプロと同じ未来予測能力を持つことはできません。
しかし、「どこにリスクと時間を捧げるか」という意思決定においてのみ、私たちは市場に対して主導権を握ることができるのです。