なぜ「インデックス」という正解を捨てて、面倒な個別株をやるのか? 私の投資を支える「電卓」と「体温」の話。
週末、コーヒーを飲みながら自分のポートフォリオを眺めていて、ふと我に返ることがあります。 「なぜ、私はこんな面倒なことをしているんだろう?」と。
現代の投資理論において、正解は出ています。インデックス投資です。 市場全体を丸ごと買い、感情を排して寝て待つ。これが最も合理的で、最もタイパの良い「最適解」であることは、数字が証明しています。
それでも私は、あえて手間のかかる個別株のリサーチに時間を費やし、決算書を読み込み、Excelを叩いています。 今回は、なぜ私がその「非効率」を選ぶのか。個別株投資に向き合う際の私のスタンス(流儀)について、少し言語化しておこうと思います。
1. 「効率」のその先にある欠乏感
以前も書きましたが、私の投資の原点はインデックス投資です。 S&P500やオルカンを買うこと。それは素晴らしい戦略です。
しかし、40代を迎えた頃、その「正解」の中に安住することに、奇妙な欠乏感を覚えるようになりました。 資産は増える。でも、「自分は世の中の経済活動を、本当に理解しているのか?」という問いには答えられないままです。
インデックスは「平均」を買う行為です。そこには個別の企業の顔も、経営者の苦悩も、現場の熱量もありません。すべてが希釈された「数字」として処理されます。 私が個別株の世界に足を踏み入れたのは、単にリターンを求めたからではなく、自分の手で企業の価値を測り、納得してリスクを取るという「主体性の手触り」が欲しかったからなのだと思います。
2. 左手に「冷たい電卓」を
では、どうやって銘柄を選ぶか。 まず必要なのは、徹底的に「冷徹であること」です。
株式市場というのは、頻繁に躁鬱(そううつ)を繰り返す情緒不安定な場所です。 コンセンサス未達で暴落したり、一過性のニュースでセクターごと全否定されたり。
そんな「市場のノイズ」が大きくなった時こそ、私は静かにExcelを起動します。 「みんなが怖いと言っているから売る」ではなく、 「株価は下がったが、キャッシュフローは傷んでいない。計算上、安全域(マージン)が30%取れる。だから買う」
インデックス投資時代に培った「数字への信頼」をベースに、感情を排して事実(ファクト)を確認する。 この「冷たい頭(Cool Head)」によるスクリーニングが、私の投資の入り口です。数字が合わないものには、どんなに夢があっても手は出しません。
3. 右手に「温かい物語」を
しかし、ここからが重要です。 「数字が安いから」という理由だけで買った株は、長続きしません。暴落局面で握り続ける握力が生まれないからです。
ここで必要になるのが、数字には表れない「物語(ナラティブ)」です。
- 経営者は、自分の言葉で未来を語っているか?(借てきた猫のような定型文ではないか?)
- そのビジネスモデルに、社会的な必然性はあるか?
- 現場のエンジニアや社員に、製品への「愛」はあるか?
数字でスクリーニングした後に、時間をかけてこれらの「定性情報」を読み込みます。 そこで、企業の「体温」のようなものを感じ取れた時、はじめて「この会社となら心中してもいい(あるいは、長く付き合いたい)」という覚悟が決まります。
これを私は「温かい心(Warm Heart)」での判断と呼んでいます。 どんなにPERが低くても、ただ数字を作るためだけに走っている「冷たい企業」に、私の大切なお金を託すことはできません。
結論:論理とロマンの不均衡なバランス
今の私の投資スタイルを整理すると、こうなります。
- 【入り口】: 市場の歪みを、「冷たい論理(電卓)」で見つける。
- 【決定】: その企業の持つ熱量を、「温かい共感(物語)」で確認する。
- 【継続】: 保有中は物語を楽しみつつ、何かあれば再び電卓を叩く。
左手でリスクを計算し、右手で未来を信じる。 非常に面倒くさいスタイルですが、この両輪が揃って初めて、私は夜ぐっすり眠ることができます。
「儲かるかどうか」はもちろん重要です。 でもそれ以上に、「自分がその企業を応援することに、腹落ちしているか」。 そんな「意思あるお金」を市場に置くことこそが、私にとっての投資の醍醐味なのかもしれません。