同じ船を降りる時、投資家はどうあるべきか。ポジションを語るブログの「功罪」。

同じ船を降りる時、投資家はどうあるべきか。ポジションを語るブログの「功罪」。

年始からドーン (2303)や「アート・オブ・スペンディングマネー」の書評など、私としては熱量の高い、投資家さんからすると聞き捨てならない記事を連投してきた認識はあります。 しかし、キーボードを叩きながら、常に私の心の片隅にはある種の「居心地の悪さ」がこべりついています。

それは、自分の売買をブログで公開することに対する、「倫理的な問い」です。

ポジションを語ることは、必ず「誰か」を刺す

私はエンジニアとして、企業の価値をロジカルに分析(デバッグ)したいと考えています。しかし、そこに「自分自身のポジション」が紐付いた瞬間、記事は鋭利な刃物性を帯びます。

「買い」を語る罪

私が「この株は上がる!まだ割安だ!」と書くこと。 これは、逆のポジションを持っている人(空売りしている人)や、既に売ってしまった人に対して、「あなたの判断は間違っている」と突きつけることと同義になりかねません。

「売り」を語る罪

逆もまた然りです。 「もう全株売却しました」「ここが天井だと思います」と書くこと。 これは、まだその銘柄を信じてポジションを維持している(ガチホしている)人や、これから買おうとしている人にとって、冷や水を浴びせる行為です。

同じ船に乗っていた仲間に対し、先に降りてから「この船はもう進まないよ」と岸から叫ぶようなもの。 残されたホルダーからすれば、それは刃物のような裏切りにも見えるし、不安を煽る「売り煽り」として機能してしまいます。

「誰も見ていない」と言い切れない現実

よく「個人のブログなんて相場への影響はゼロ(誤差)だ」と言われます。 トヨタのような大型株ならそうでしょう。しかし、私が触るような「時価総額が小さく、板が薄い銘柄」においては、話が変わってきます。

板が薄い銘柄では、たった数人の読者が記事を見て「良さそうだ」と成行買いを入れるだけで、株価は数ティック跳ね上がってしまいます。 影響力があるからではありません。システム(需給)があまりに敏感すぎるため、些細な入力がノイズとして出力されてしまうのです。

さらに、記事の一部だけが切り取られて拡散されれば、意図せず誰かを「扇動」してしまう。 「煽るつもりはなかった」という言い訳が通用しない結果を招く可能性があります。これに私はどう向き合うのか?あくまで自己責任を言い張るだけの第三者的な存在で本当に良いのか?

ブログ運営の「トリレンマ(不可能性)」

なぜ、このモヤモヤが消えないのか。 考え抜いた結果、私は一つの結論に達しました。

あらゆる投資ブログにおいて、以下の3つの要素を「すべて同時に100%満たすこと」は不可能だからです。

  • 透明性:自分のポジションや売買根拠を包み隠さず公開すること。
  • 誠実さ:既存ホルダーや読者を傷つけず、煽らず、公平であること。
  • 市場への不干渉:自分の発信によって株価や需給を歪めないこと。

これはエンジニアリングにおける「CAP定理」のようなものです。必ずトレードオフが発生してしまいます。

  • 透明性を取れば、「買いました」と書くことで、板の薄い銘柄の株価が動き、「不干渉」が崩れます。
  • 誠実さと不干渉を取れば、誰かの邪魔をしないよう沈黙することになりますが、それは「透明性」(ポジションを隠していること)を犠牲にします。
  • 透明性と不干渉を取れば、「売りました」と淡々と事実だけ書くことになりますが、それは残されたホルダーへの「誠実さ」(心情的配慮)を欠くことになります。

あちらを立てればこちらが立たず。 このトレードオフの中にいる限り、完全な正解はないのです。

現時点での「最適解(Workaround)」

完全な正解がない以上、私たちは現実的な運用ルール(ワークアラウンド)を決めるしかありません。 現時点で私が自分に課そうと思っているルールは以下です。

  1. ポジションの開示
    • 記事にする銘柄を保有している場合は、可能な限りその旨を記載する。(利益相反の明示=透明性の確保)
  2. 根拠の分離
    • 「持っているから好き」ではなく、「こういう数字(ロジック)が出ているから買った」という順序を崩さない。
  3. 出口の言語化
    • もし売却した時は、「もうダメだから売った」と切り捨てるのではなく、可能な範囲で「なぜシナリオが崩れたのか」を丁寧に言語化する。(誠実さへの努力)

悩みながら書くしかない

ポジショントークや、誰かとの利益相反、そして市場への微細な干渉を完全に排除することは不可能です。お金を扱う以上その軋轢が避けられないものであることも分かっています。

ただ、「自分の記事が、買い方にとっても売り方にとっても、ノイズや刃になる可能性がある」という責任だけは忘れずにいたい。 100%の正解がないとしても、そのパラドックスの中で悩み続けることこそが、最低限の誠意なのかなと思っています。板の奥にいるのは人間ですから。

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