リクルート(6098):「完成されたシステム」への違和感。小型不人気株を探す合理的理由
前の記事では、リクルートホールディングスという巨大企業の構造を分解しました。 結論から申し上げれば、あの企業は「非の打ち所がない」という評価に尽きます。現在の株価水準も、決して割高ではないという試算が出ました。
しかし、私の熱量はそこで底をつきました。 投資家としての「無力感」を覚えてしまったからです。
本日は、リクルートという銘柄をベンチマークに、私が市場に対して抱くスタンスと、あえて茨の道である小型不人気株を選ぶ「工学的な理由」について整理します。
1. 「最適化」されすぎた世界での虚無感
リクルートのような超大型株は、いわば「完成されたシステム」です。 好決算も、新サービスのリリースも、世界中の機関投資家とAIが瞬時に解析し、株価に織り込んでいきます。情報の遅延はほぼゼロに近い。
私が今さら分析をして「買いだ」と判断したところで、それは自分の意思で選んだようでいて、実は巨大なアルゴリズムの一部として処理されているに過ぎないのではないか。 すでに形成された大きなトレンドの中で、私は単なる追随者であり、市場という生態系を回すための交換可能な「養分」に過ぎない。
その感覚が、どうしても拭えませんでした。 完成された美しいシステムには、私が手を加える余地など残されていないのです。
2. ノイズの中に「手触り」を探す
私は、投資においてもう少し「手触り」を求めています。 誰かが敷設した光ファイバーの上を走るのではなく、未開の地にサーバーを立てるような、確かな「主体性」が欲しい。
だからこそ、私は「小型の不人気株」に向き合います。
そこは、機関投資家というメインプレーヤーが参入してこない、リサーチ対象外の領域です。学習データが不足しているため、AIも正確な理論株価を弾き出せない「情報の空白地帯」。解像度が粗い場所とも言えます。
そういったノイズ混じりの場所にこそ、私たち個人投資家の出番があります。 誰にも見向きもされていないけれど、確かに美しいロジックで動いている企業。そこに、自分の頭で考え、リスクというコストを払って資金を投じる。
これは単なるマネーゲームではありません。 資金循環の行き届かない場所にリソースを供給するという、資本市場における「バグ修正(デバッグ)」の一端を担っている感覚。そして、企業価値が見直された時には、初期からの理解者として報われる。
この、企業と個人の間で成立する静かな「Win-Winの関係」こそが、私が投資に求めている設計なのです。
3. 「ロマン」を支える冷徹な勝算
「それは個人の自己満足だろう」という指摘もあるでしょう。 確かにそうです。ですが、私はこれが「経済合理性」にも適う生存戦略だと定義しています。
大型株のような「効率的市場」で、情報量と資金力に勝るプロに勝つのは不可能です。 しかし、小型株のような「非効率な市場」なら話は別です。
機関投資家は、運用資産規模が巨大すぎるゆえに、時価総額の小さい銘柄には物理的に資金を入れられないという「制約」を抱えています。 つまり、ここには構造的な「資金の真空地帯」が存在するのです。
プロが構造上「買えない」フェーズで、先にポジションを構築しておく。 企業が成長し、時価総額というパラメータが大きくなった時、初めてプロたちが買わざるを得なくなる。 その巨大な流動性が後から流入してくるのを待つ。
これが、私が考える「弱者のアービトラージ(裁定取引)」です。 市場の歯車として後から巻き込まれるのではなく、歯車が回り出す前の「最初の入力値」になること。 論理的に考えれば、これほど理にかなったポジションはありません。
不確実性を愛する
もちろん、この戦略が必ず高いリターンに結びつく保証はありません。「万年割安株」として、誰にも発見されないまま終わるリスクも抱えています。再現性は決して高くありません。
それでも私は、すべてがお見通しの世界で養分として生きるより、不確実でも自分の意思で価値を選び取る投資家でありたい。
「主体性」と「合理性」。 この二つを両立させるために、私は今日も、リクルートのような王道ではなく、誰も知らない裏道の銘柄を読み解こうと思います。
さて、四季報のページに戻り、探索を続けるとしましょうか。